カツ丼好きには気になる口コミ。大門・新橋近くにある店。以下引用:ですから、ずーっと、虚しい彷徨を続けていたあたしが、
こちらのカツ丼を一口頬張って、絶句し、
すぐに涙目になったのは、その玉葱のせいでは、決してないことを、
この駄文を読んでくださった諸賢はお判りのことと思います。
いやー、ほんとに、燕楽さんがあって良かった!!!
ここにくれば、いつでも、小生がこよなく愛する
あの世界一美味しい天明堂に匹敵するカツ丼をいただくことができます。
35 名無しがお伝えします sage 2009/10/08(木) 09:30:44 ID:46Th62sJ0
自殺・心中の直接の原因は、『寝不足からくる精神疲労』だ。
これは、自分でも気が付かないうちに、取り付かれる。
次第に、強迫観念や杞憂やネガティブ思考になる。
それに自分でも気が付かず、『こう考えるのは当然だ』と思って見過ごす。
そして次第にノイローゼ気味になる。
これに対抗するには、
①早寝早起き ②食事は3度食べる ③運動をする ④柔軟体操をする
⑤神仏を尊ぶ ⑥勉強を欠かさない ⑦目標を持つ ⑧譲歩する
⑨酒タバコを呑まない ⑩パチンコギャンブルはしない
50億円の借金を抱えて、気にせず元気に生きている経営者を知っている。
地上げが、心中事件を起こしたのではない。
それは一つの要因に過ぎない。
もっと些細なことでも、人は自殺する。
疲れて、寝不足になるから、欝になって自殺するのだ。
くよくよ悩む暇があったら、、飯食って、糞して寝ればいいのだ。
明日は明日の風が吹くのだ。
そもそも少しの努力で無料になるものを、その努力をしなくていいことに対してお金を払う、ということに合理性があるかどうか、というふうに考えることもできるのかもしれません。さらに言えば、無料だったものが、時間が過ぎると有料になるという事態は、よくよく考えると、なんとなく人間の普通の感覚とはかけ離れているような気もしないではありません。古書もそうですが、時間が経てば値打ちが下がるのが道理ですものね。古書でもプレミアムがつく希少本もあるにはあるけれど、番組コンテンツはデジタルデータだし、そもそも無料だったものだし、ゼロにいくらかけてもゼロだから、きっとその理屈は成り立たないでしょうね。
透明人間になると自分の網膜を光が突き抜けるから
目が見えなくなる
人は先行者とその他とで、だいたい情報に対して2つのタイプに分けることが出来ると思う。
Aタイプは、好奇心旺盛で見たい、聞きたい、というグループ。知識体系を広く持つ人ほど新情報を無理なく取り入れることができ、それによって知識体系をさらに高めていける。
一方Bタイプは逆に見たくない、聞きたくないというグループ。マスメディアは、マス対象を選んだ時点で広告依存型にならざるをえず、自らの収入>支出を目指し、Bタイプを心地よくさせて目覚めさせない情報発信をする。言ってみれば麻薬的な働きをしてきた。正しいものなんて見たくないという人たちに、そうあなた方が正しいんですよ、見なくていいんですよ、と。その天才がみのもんたさんかもしれない。Bタイプの人たちは、自らの尊厳を守るため、見たいもの聞きたいものの提供者を無意識に信頼する。するとさらに「心地よい」情報しか耳に入らなくなり、正しい情報からはますます遠ざかっていく。
社会では全員が成功することはできず、常に出し抜かれるような人が存在する。社会が右肩上がりなら、この構造が続いても大丈夫。しかし伸びが止まった現在においては、寝た子を起こさないといけない。なぜなら公共財を大事に使う、負担を公平に分かち合う、といったことはBタイプの人まで巻き込まないと実現できないからだ。目を覚めさせる、という言い方だと上から目線で腹が立つかもしれないが、要は彼らの受容体を活性化する必要がある。
ただし、受け手の尊厳を侵さないことが必須条件だ。侵すと逆効果。相手の知識体系を否定することなく情報を出す方法、頭ごなしにならない方法はないものだろうか? 結論から言うと、これは受容体が開きやすいタイミングを待つしかないと思う。
今日、今さらのように思ったのだけど、もはやリアル店舗のレコード店では、カッコイイ音は手に入らない時代になったのかも。某大型レコード店の前を通って、そこにいる客層を見て、漠然とそんな感じがした。
初オールなんて、どうせ壁ぎわに一人で立ってて、ラムコークすすって、こわごわ、踊れずじっとしてて、友達も出来ずに帰るのが普通なんですよ。現場デビューなんてそんなもんだよ。
でも「家でひとりで聴く」というのと「でかい音でみんなで聴いて、何かする」って違うからなあ。それは衝撃だからなあ。
やはり、何かを隠したいっていう人、
自分の知っていることや知っているものを、
人に伝えたくない人っていうのは、
未来のない人だと、ぼくは思います。
やはり、自分の知ってることを
人に伝えていくことに関して、
ケチになってしまうと、
おもしろい人間ではなくなると思うし。
映画の終盤で監督は、ウォール街に突撃してあることをするのだが、字幕監修を務め、この日の前説にも登場した森永卓郎曰く、「日本で同じことをしたら100%逮捕されます」。監督自身も撮影中は内心ドキドキだったそうで、ついに警察官が近づいてきた時は「これでとうとう逮捕されてしまうんだろうと覚悟を決めた」。だが、「すぐに終わりますから」と警官に言ったところ、彼は「好きなだけやってください! ここはニューヨークの警官たちの年金を10億ドル分も損させたんだから!!」と言い、撮影を続行できたというウラ話を教えてくれた。
メディアのコアである取材・編集機能の価値は、むしろ高まるでしょう。特に日本では、ブログやSNSなどの個人メディアに読むべきものがほとんどないので、大組織に囲い込まれていた記者が個人ベースで情報発信すれば、ビジネスとしてやっていける可能性もあります。世界各国でも、沈んでゆく在来メディアを脱出したジャーナリストが、個人メディアを立ち上げるケースが増えています。
アゴラもBLOGOSも、そういう質の高い個人メディアを支援するプラットフォームを作ろうという試みですが、コストが人件費だけなら採算に乗せることはむずかしくないし、初期投資が少ないのでリスクも小さい。新聞社には未来がないが、本当に実力のあるジャーナリストにとっては、メッセージを世界に発信できるチャンスではないでしょうか。
日立製作所は、デジタルデータを10万年以上の長期間にわたり安定的に保存可能なストレージ(記憶装置)技術を開発した。強度や耐熱性に優れる3センチメートル角の石英ガラス板に、4・8キロビット容量(600文字相当)のデータを書き込み、読み出すことに成功した。
「大学で学んできたことは全部忘れろ、一から企業が教えてやる」的な雇用システムを全面的に前提にしていたからこそ、「忘れていい」いやそれどころか「勉強してこなくてもいい」経済学を教えるという名目で大量の経済学者の雇用機会が人為的に創出されていたというこの皮肉な構造を、エコノミスト自身がみごとに摘出したエッセイです。
打ち合わせの最中にも給与が発生している編集者と
一銭も出ない打ち合わせを何度も何度も真剣にする。
安定収入を得ている編集者に「二人三脚で一緒に作りましょう」
と口説かれ、失敗すると、作家の暮らしだけ崩壊する上級賭博。
生活の保障はされないが、原稿を保証をする必要がある。
社会人クラスの責任を問われながら、
社会人以下の生活を強いられる。
たった一晩の食事が数万円という接待を受けつつ、
ひとたび接待が終われば時給300円以下の日常を送る。
富裕層と貧困層の生活をいっぺんに味わえるし、
借金に震える生活と、従業員を雇用して社長気分も同時進行。
これ程スリリングな体験が出来る職業を私は他に知らない。
日本という国は、ハードへの金をケチって中途半端なものを作ってしまい、システムは利害調整が出来なくて不合理極まりないものとなり、ものすごく不利な条件ができてしまうのに、ヒトが献身的な働きをするから物事が正常に動いている
2009年2月、常に流行の先端を追い求めるハリウッドのプロデューサーたちが行列をなすハンバーガーレストランが登場しました。その名は「Umami Burger」。
ほとんどの米国人客は「Umami」の意味を知りません。しかし、Sweet(甘み)、 Sour(酸味)、 Salty(塩味)、 Bitter(苦み)に続く「第5の味(The Fifth Taste)」がUmamiだと看板に掲げたハンバーガー屋は、またたく間に新しいモノ好きの業界人の心をつかみ、30分以上待ちの行列がざらの人気店となりました。今年後半にはすぐさまハリウッド通りに支店を進出させています。
日本人のココロを反映するSushiを「スパイシー&クランチー」に「進化」させることに精神的な抵抗感を覚えるとしても、すでに欧米に「本場」があり市場性が見込めるハンバーガーに「ニッポン流」を持ち込むのであればビジネスとして割り切ることができたはずです。
ある筆者の友人が「この店はハンバーガーを次世代に押し上げた(This place took hamburgers to a next level.)」とさえ絶賛した、奪われたニッポンの「世界進出」。ニッポンは本来どのような手を打っていくべきだったか。あるいは、今後打つべきか。